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職能とは職務遂行能力、職務を遂行する「能力」を表します。人材の持つ「能力」に着眼し、能力の高低で序列を作り階層化する制度です。等級制度は大きく「人基準」「仕事基準」「業績基準」で人材の序列付けを行いますが、職能資格制度は「人基準」による序列付けの代表的な制度です。
職能資格制度と対照的なものが、仕事基準による序列付けの「職務等級制度」です。両者を比較すると次のようになります。
・職能資格制度=ヒトが持っている能力で等級が決まる
・職務等級制度=ヒトが就いている職務価値で等級が決まる
※参考記事
さらに重要なポイントは、職能等級はあくまで「能力」という定性的で目に見えないもので序列付けするために、必ずしも当人がこなしている「職務内容」や「役職」の重みとは一致しない、ということです。
「役職(ポスト)」にはそもそも数に限りがあります。例えば営業部長であれば、本来そのポストには営業部で1人しか就くことができません。どのポストにも数には限りがあるため、選考する側にとっても負担ですし、目指す従業員側にとってもこれは狭き門となってしまいます。これは従業員にとって昇進・昇級の天井が限られてしまうこととなり、長く勤務するモチベーションを低下させてしまいかねます。
職能資格制度は、等級と役職を分離することでこの問題を解消しています。それが等級に紐づいた「資格」という呼称です。下図は実際にご支援させて頂いた人事制度策定時の等級体系表です。
この等級制度では1~7等級までを設けていますが、それぞれに資格名が付いています。例えば4等級であれば上級職、6等級であれば参事という資格名です。
資格は各等級にそれぞれ付与された呼称ですが、役職とはまた別です。つまり、
・6等級参事で役職が「課長」
・6等級参事で役職が「部長」
ということもある、というです。
もし等級と役職が紐づいていると、仮に5等級の役職が「課長」だった場合、課長職のポストに空きがなければ、下の等級の社員は能力があっても5等級に上がれないことになってしまいます。それでは社員のモチベーションや等級に基づく能力開発も進まなくなってしまいますので、役職の代わりに資格を与え、能力のある社員がそれに見合った等級につけるようになっています。
職能資格制度は戦後日本で広く普及しましたが、その理由は「年功序列」「終身雇用」などの日本独特の雇用形態にあります。長く会社で雇用することで徐々に能力を高め、将来のマネジメント層として勤めてもらうには、限られた役職(ポスト)に就けなかった従業員でも、能力の高い人材であれば報いる仕組みが必要だったということです。
職能資格制度は等級と役職あるいは職務が分離しているため、長期的に能力開発を行うのに適した制度です。例えば営業課長が人事異動により製造部主任になったとしても、等級や資格は維持されるため、本人のモチベーションにはさほど影響が出にくく、ゼネラリスト育成に向いています。
配置転換しても等級は維持されるため、新規事業プロジェクトなど一時的なプロジェクトへの配置転換を迅速に行うことができます。柔軟な人事異動を実施できる職能資格制度は、ゼネラリスト育成に向いていると言えます。年功序列、終身雇用という背景の中で、その会社の独自文化を理解したゼネラリストを育成する仕組みは、かつての日本企業の強みの1つであったと言えます。
前述のように、役職(ポスト)に空きがなくとも、能力が高まったと評価されれば等級が上がる仕組みとなり、等級に合った処遇を行うことで本人の長期間勤務へのモチベーションを向上させます。
職能資格レベルと担当職務レベルが必ずしも一致しないため、「能力」が「業績」に直結していないことも多々あります。
また、「能力」は定性的かつ目に見えないため、長く仕事を続ければ高まっていくもの、という前提に立って運用せざるを得ません。そのため年功的な運用となりがちで、社員年齢上昇とともに上位等級に大勢が滞留する傾向にあります。
これらが総額人件費の高騰を引き起こし、経営を圧迫することもあります。
「能力」は定性的で目に見えないため、各等級に求める能力を示した「等級基準書」も抽象的な内容になりがちです。したがってその基準書を基にした評価も基準があいまいになりがちなため、評価の納得感が得にくく、不平等人事になりがちです。
評価が難しい等級制度であることから、職務成果(実績)と職能が密接に結びついているような職種(例えばコミッション型の営業など)には合いません。
先述の通り年功的運用になりがちなため、上昇志向の若手社員が頑張っても報われず、モチベーションの低下、退職、そして社員年齢上昇という悪循環が生まれる可能性があります。